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Drive 「由布院へ行こう」

  • 執筆者の写真: 麻美 四条
    麻美 四条
  • 2015年9月4日
  • 読了時間: 33分

南由布駅から由布岳を望む

福岡からドライブに出かけるとなると

海沿いを走る糸島や唐津というコースと、甘木・朝倉から日田を抜けて由布院などへ行くコース。

また阿蘇の大観峰から「やまなみ」、久住などへと至るコースが思い浮かびます。

どれも魅力的なコースなのですが、私は日田を経て由布院方面へ行くのが大好きでした。

まだ福岡にいた頃、ちょっぴり若い頃の昔話です。

時期は一月で仕事も少なく、休日を利用して一泊の予定で「どこかへ出かけようよ」ということになりました。

「だったら由布院に行きたーい。熊本まで高速で行ってさ、やまなみを通って由布院に行こうよ。途中でジャージー牛のソフトクリームも食べれるし、由布院に着いたら城島高原の遊園地で遊ぶのも良し、安心院( あじむ )のサファリ・パークに行くというのもあるじゃない。鶴見岳にロープウェイで登るのもいいかもよ」とレジャーガイドよろしく畳み掛けます。

「どこにも予約なんかしてないんだからさぁ。今からじゃ、湯布院温泉の宿なんかとれないよ」と彼氏さま。

「へへへ・・そこは何とでもなるのよ。最悪の場合、由布院から一旦さぁ別府温泉へ降りて、別府の湯元のホテルで一泊という手もあるしさ」と由布院行きに決定と言わんばかしの勢いでもう一押し。

「そんなに巧くいくのかよ。別府のホテルって高いんじゃないのかい」と訝しげな彼氏に「別府の旅館案内所に知ってる人がいるのだわ。別府で泊まるのなら素泊りになるけど安くしてくれると思うよ」と決定打。

翌日、彼氏さまの車にかわい子ぶりっ子で乗り込むと「さあ行けやれ行け、目指すは由布院じゃ」とばかりに助手席ではしゃぎまくりました。

熊本で高速を降りると国道57号線を阿蘇立野方向へ。「ミルキーウェイ」の標識から「やまなみハイウエイ」へと入ります。

ハイウエイといっても高速道路ではありません。大分県と熊本県にまたがる県道11号線で、ちょっとしたワイディングロードの風景が楽しめます。阿蘇久住高原は肥後のあか牛やジャージー牛の放牧が盛んなところで、テレビコマーシャルで北海道のイメージを撮影するのに阿蘇久住高原が使われるほどです。

瀬の本高原でお目当のジャージー牛のソフトクリームにありつき、一月の寒さも関係なくペロリと楽しんでいると、一月の高原の寒さにガタガタ震えながら彼氏さま曰く「この寒いのにソフトクリームなんか、よく食べれるなぁ。俺、車の中で待ってるからよ」と冷たいお言葉です。

車窓に映る高原の風景は一面のススキの原。日差しがあるとはいえ、秋を過ぎ冬枯れの季節のためか寒そうに揺れています。

そんな風景を見ながら彼氏さまとお話しをしていると、熊本と大分の県境にさしかかり「水分け峠」の看板が目に飛び込んできました。「もうすぐ由布院だわさ」と喜ぶ私を横目で睨み「次は暖かいところ、暖かい食べ物に温泉だからな」と一言。

それならと古民家風の建物がステキな「亀の井別荘」で食事にしましょうということになり、「湯ノ岳庵」名物の「豊後牛の鍬焼き」に舌鼓を打つことになりました。

古民家風のたてもの数棟が出迎えてくれる「亀の井別荘」は別府の近代的な温泉地造りに貢献した油屋熊八の私的な別荘として静かな由布岳の麓に建てられたものが基礎になっている旅館兼レストハウスです。このほかに、由布院玉の湯など高級旅館が数軒あり、全国的な知名度が上がるにつれ、どこも予約をとるのに苦労します。

さて「豊後牛の鍬焼き」ですが、農具の鍬の金属の部位を鉄板代わりにして炭火の上でお肉を焼くというもので、田舎風の演出も気が利いていてなかなか美味です。

最近では和牛というと有名ブランドの黒毛和牛が有名ですが、そのなかでも " 豊後の黒牛 " は一度食べてみる価値があります。

テーブルそれぞれに炭火が置かれ、その素朴な暖かさとお肉の焼ける匂い、そして、その美味しさに彼氏さまはご満悦です。

「ここの横に湖があるでしょう。金鱗湖というのだけど、どこかしらからお湯が出ていて水温が下がらないって話よ」というと

「お湯ということは温泉ということかい。ならば善は急げで温泉に入ろうぜ」とニンマリ。どうせ寒がり屋のアンタの頭の中には、温泉イコール露天風呂という絵が出来上がっていて、そこでゆったりなんて気分なんでしょうよと目を細めました。

結局、由布院での宿を探しましたが観光案内所でも見つからず、城島を越えて別府市内へ降りることにしました。

杉の井パレスのすぐ下にあるちょっと馴染みの小さな宿泊案内所に行くと、宿がすぐ見つかり、素泊まりですが湯量も豊富な温泉ホテルに泊まれることになりました。夕食は別府観光港近くの甘味処で、大分のソウルフード「だんご汁」です。

「露天は無いのかよ。楽しみにしてたのにさ」と彼氏さまはご機嫌ななめ。

「でも別府の元湯だから、湯あたりはいいんだよ」と笑顔でウンチクを語っても「そうかもしれないけどさ、温泉らしい雰囲気って大事なんだよな」と一向に機嫌を直してくれません。

「そんなこと言ったって、予約も無しに観光地に来てるんだからしょうがないでしょう。こういうところに泊まれるだけありがたいと思わなきゃ」

「わかったよ、素泊まりといってもビールくらいは出して貰えるだろうな。風呂上がりの一杯が無いんじゃ温泉に来た甲斐もないってもんだ」と少しだけ気分を変えてくれました。

素泊まりなので、お酒の肴に不自由するかもとコンビニで「おつまみ」類を買い求め、ホテルのフロントにビールを出してもらえるようにお願いしました。

少し古いホテルなのですが高台にあり、部屋のベランダから見る別府湾と遠く大分市内まで見通せる夜景は最高に素晴らしいものでした。もちろん、温泉の泉質や湯質は最高で、何度も大浴場に足を運んではお肌が喜ぶのを実感しました。

翌日はあいにくの曇り空で、冬の寒さが身に沁みるようなお天気です。

温泉の効能なのか疲れも取れて、もう一度、城島高原を越えて由布院へ車を走らせることにしました。あまりに寒いので城島高原の遊園地や安心院のサファリパークに立ち寄るというプランはボツとなり、テニスウェアやラケットを持参していたので、もし天気が持ち直すようならテニスでもしようかということで話しがまとまりました。

城島高原への登りはかなりきつめのカーブが続き、運転はそう楽ではありません。幾度かのヘヤピンカーブを対向車に気をつけながら抜けると「鶴見岳ロープウエイ」の別府高原駅のそばに出ます。

「鶴見岳にロープウェイで登ってみましょうよ」と彼氏さまにお願いすると「この寒さだから止めたほうがいい」という返事。

「冬の鶴見岳は樹氷が綺麗だって観光パンフレットに書いてあったし、ねえ、せっかく来たんだから行きましょうよ」と少しふくれっ面で睨みつけるように再度懇願します。

「わかったよ、風邪ひいても知らねーぞ」と言いながらも鶴見岳ロープウェイの駐車場に車を止めてくれました。

鶴見岳は標高1375メートル。最近でも噴気が上がるのを観測されている活火山ながら、そのなだらかで柔らかな山容と別府・大分を一望できる大パノラマ・スポットとして人気があります。また夏季は夜間までロープウェイが利用できる日があるなど、夜景見物と避暑を兼ねた観光客で賑わいをみせます。

鶴見岳ロープウェイの百一人乗りというゴンドラに乗り頂上駅を目指します。しかし乗客は私と彼氏さまの二人だけです。

「この寒さだし、天気も曇りだろう、頂上に着いても誰も居ないんじゃねーのか」と彼氏さまがブツブツ言い始めると、折も折ミゾレ混じりの雪が降ってきました。高度が上がるに従って雲の中に入ってしまったかのようなガスに包まれ、本格的に綿雪が舞い始め視界を閉ざします。ゴンドラを降り鶴見岳の頂上駅に着くと、降り続く雪と新たに積もった雪とが景色の境目を無くし、まるで雪国のような風景を作り出しています。

白い息を吐き顔をしかめ、手の平をこすり合わせながら「寒いというより寒すぎるだろうよ」と震える彼氏さまはロープウェイの頂上駅の建物から外へ出ようともしません。

私は冬の北アルプスなどへの登山経験もあり、この程度の雪と寒さなら普段と同じく平気な顔でいることができます。

それに比べて彼氏さまときたら、男のくせにただただ寒い寒いの一点張り。

情けなさそうにうつむき加減でたたずむ姿に " ちったー(少しは)男らしいとこ見せたらどげんね " と口をきく気も起こらなくなりました。

頂上駅から鶴見岳の山頂に至る散策路は新雪に埋もれて判然としませんが、案内板を辿って行くとどうにか行けそうです。

積雪は七センチから十センチほど。たいした量の雪ではありません。それよりも誰も歩いていない真っ白な雪の上に自分の足跡を残して歩くことが素晴らしすぎて顔がホコロびっ放しになりました。

「俺、ここで待ってるからさ、そこら辺見たいんだったら行ってきていいよ」とは情けない彼氏さま。

私はそんな彼氏どのの事など、もうどうでも良くなっていて頂上への道を進み始めました。先ほどから降り続く雪が頂上付近の木々に積もり、冬山的な白い情景を作り上げていきます。しばらく歩くと大きな寒暖計のある鶴見岳頂上に到着しました。

私の背丈の二倍以上はあろうかという寒暖計はちゃんと今の気温を表示していて「摂氏マイナス二度」を示しています。

「やっぱり九州の山は暖かなんだね」と小さくつぶやくと、たぶん別府湾から吹き上げてくる風なのでしょう。吹き抜けていく風に綿雪が舞い上がります。

九州という土地柄、かなり水分を多く含んでいるとはいえ音もなく降り積もる雪はやはり美しいものです。

そうこうするうちに三十分ほどの時間が流れ、そろそろ駅に戻って、寒さに弱い彼氏さまを下界に下ろさねばならないという気持ちになりました。

「遅いよ、どこまで行ってたんだ。足の裏が冷たくてさぁ、なっ、早く降りようよ」と寒さで赤くなったお顔の彼氏さま。

ゴンドラに乗ると少し安心したのか、いつもの渋いお顔に戻って「この雪だと由布院へ登るのは考えものだな。一応はチェーンの用意はしてきてるけど、別府へ降りて椎田町から飯塚経由で福岡に出るか、いっそ行橋、北九州から高速で帰る方が安全なきがするんだ。それで良いかい」と分別臭げに私を見ます。

「それでいいですよ。無事に帰ってこそレジャーですもの」とシラけた気持ちを見抜かれないようニッコリしてあげました。

鶴見岳ロープウェイを後にした私たちは別府観光港へ降り、国道10号線を北九州方向へ進み椎田町有料道路から行橋、北九州を経て夜には福岡へと帰り着きました。

それから三ヶ月、仕事に追われていたのもあるのですが、最初は渋くてカッコ良く見えてた彼氏が、そんなでもなく思えてきて会う回数も減り、向こうも私に飽きたのか別の女性とのデート話が噂になって聞こえるようになりました。すると「少し会うのを控えたいんだ、時間をくれないかなぁ」という電話が彼氏から掛かってきたのです。別れるのなら、こちらから話を切り出して思いっ切り振ってやるつもりだったのに先を越されて悔しさがこみあげます。「わかったわ。別れたいんでしょう、もう会うこともないでしょう、さようなら」電話を切った時にはなぜか涙がこぼれていて止まりませんでした。

いくら気持ちが冷めていたとはいえ、ひとりになってしまったという寂しさは心を痛めます。なぜか悔しい思いが胸いっぱいに広がり何も手につかないのです。仕事もミスが増えて巧くいきません。「何か気持ちを変えること・・何かしないといけない」とお酒を飲む量だけが増えていきます。

それから数日後「そうだ走りに行こう。ワインディングを思いっ切り走りたい」という気持ちになったのです。

私の愛車は、HONDA EF7。DOHC 1600 CC のエンジンを搭載した真っ赤なCR-Xです。赤いボディに映えるようにエンケイの真っ白な準レーシング・ホィールに、前輪には柔らかめのコンパウンド、後輪には標準の硬さのコンパウンドのダンロップ D40 を履かせて、ちょっと個性的なスポーツ車だということをアピールしまくり、当然、安全性の面からブレーキパッドも制動距離が短く信頼性の高いレース用に替えています。

コックピットはというと、レカロのラリー用シートをドライバー側とパッセンジャーに座面を5センチほど下げて標準のシートと換装し、それぞれに4点式のレース用ハーネスベルトを付け、ステアリングホイールには国内のレースシーンで絶大な信頼を集めるパーソナルのものをチョイス。運転時にはチルト機能のあるステアリングコラムを最大限に下げてステアリングを握ることになります。

足まわりはというと、4輪ともにショックアブゾーバーを5段階調整が出来るダート・トライアル / ジムカーナ用のガスショックに換装し、コイルサスも少し硬めのものに変更してあります。タイヤのアライメント調整などはサーキットなどのハードな走行ごとに実施して、走行時の安定性直進性をキープさせることに。

さて、車でもっとも肝心な場所、エンジンルームの中ですが、まずパワーユニットであるエンジンを一旦車から降ろし、各パーツごとに徹底した洗浄とバリの除去、シリンダー内部の鏡面磨き、各気筒ごとのピストンリング圧を正常値で均一化。ピストンロッドやクランクシャフトのバランスを取り直し、気筒ごとの吸排気バルブのタイミング調整などをレース用エンジン・チューナーのところでやってもらったのです。エンジンは改造というよりもノーマル・データが発揮できるように合法的な調整を施したに過ぎませんが、実車販売時のカタログ上に書かれている出力に近い数値にまでエンジンを磨きあげることができました。

これに加え、クラッチをレース用のメタルクラッチに変え、ギアボックス内もスラッジ等をケロシンで綺麗に洗い、ミッションを組み直し市販時のノーマルデフを機械式ノンスリップ・デフに換装しました。

レース用のクラッチに変えるとエンジンからのパワーをロスなくドライブシャフトに伝えることができますが、反面、半クラッチなどの市街地走行でよくやるラフなクラッチ操作は出来なくなります。

ノンスリップデフはというと、よくぬかるみにタイヤがハマって、接地してないタイヤばかりが空転し、しっかり接地しているタイヤは一切動かないといった経験をされた方がいると思いますが、このタイヤの空転を抑え、接地しているタイヤに動力を伝えるようにしようというものです。ただし、カーブにおいての内輪差外輪差のバランス調整をやってくれるデフギアがうまく働かずに走行時に支障が出ます。その現象を簡単に説明すると、緩いカーブを曲がろうといつもの感覚でハンドルを切ろうとします。すると思ったほど曲がらず、ビックリしているとカーブの頂点あたりからいつもより急角度でハンドルが切れコーナーの内側に向かって一気に車が進んでしまいます。この車の挙動に慣れてしまえば良いのですが、なかなか一般のドライバーの技術では難しいのかもしれません。レース時にかなりなスピードを保ってコーナーを攻めていると、車体が傾き駆動輪が浮いてしまうことがあるのですが、この時に接地しているタイヤにパワーが伝わるようにするのがノンスリップデフの役目なのです。

しかし車検も通る仕様で市街地を普通に走ることができる車なのですが、エンジンオイルには「5W60」という高性能スポーツ車用を入れることが必須になり、街乗りでラフに気楽に運転することはまず出来なくなります。

車雑誌のモータースポーツ欄を担当しているので、自然に自動車部品メーカーや自動車の整備やレーシングチームなどの関係者と親しくなりました。おかげで、お金のかかる車のチューニングも記事にすることを条件にスポンサードしてもらったり、価格をサービスしてもらえた結果が、個人所有ながらサーキットでもテスト走行などで、レース仕様車には劣るものの、ソコソコの走りができる車にしてもらえた形になりました。

もちろん、サーキットなどを走行するには JAF が発行する競技者免許( 私の場合は「国内 A 」ですが )が必要になります。加えて各サーキットが独自に発行するサーキット・ライセンスを取得してないと、実際にサーキット走行は出来ないのですが。

深夜一時すぎ。車体の隅々から外装まで、綺麗に磨き上げた HONDA EF7 に乗り込みます。荷物はボストンバッグ一つ。

レースでも使える白い革製のレーシングシューズは、オシャレなウオーキングシューズに見えるので今回のドライブにチョイスして、伸縮性のある黒のパンツに白のポロ、シェラカップのモスグリーンのマウンテンパーカーというファッション。

腕には男性用サイズのクロノグラフを巻き準備万端です。

イグニション・キーを ON の位置まで回し、アクセルペダルを軽く一回だけ踏み込んでセルを回すと、エンジンが活きづくようになめらかに回り始め、九百回転域でのアイドリングをしばらく続けます。前照灯とメーターランプに明かりを灯すと、ラリー用の 90 / 110 ワット高輝度のハロゲンランプが白く闇を切り裂きます。水温計の針が徐々に上がり始め、エンジンが温まってくる頃合いを見計らって、クラッチペダルを踏み一速にギアを入れゆっくりと車を駐車場から出し、千八百回転まで静かに加速して福岡市内に車を向けました。

目的地は由布院。ここを選んだわけは、福岡から日田を抜けて由布院にいたる道が大好きなこと。そして、それにも増して、前の彼氏が連れて行ってくれた由布院の思い出を完全に払拭したいという気持ちがあったからです。由布院に着いたら「思いっきり自分流で楽しむ」ことで、モヤモヤとした心をすっきりとしたいと思いました。

深夜ということもあるのでしょうが、少し開けた窓から入ってくる三月の夜の空気は冷たく、少しほてった顔を心地よく冷やしてくれます。

そんなにスピードを上げるわけでもなく、国道3号線を南下して福岡から太宰府を抜け、県道112号を通り、甘木、朝倉を経て大分県の日田にいたる国道386号線をクルーズするように進みます。

国道386号線は、市街区域に信号も多く、おまけに路面の状態があまり良くないのです。アップダウンやコーナーは見通しもきかず、スポーツ心を満喫できる “ 攻めた走り “ ができる場所じゃありません。

よく誤解されるのですが、自動車というものを知っている人間にとって ” 攻めた走り “ とは暴走行為などではなく、制限速度以内のスピードでも高度な運転技術を駆使して、キビキビとした走りをすることを言うのです。

そうこうするうちに福岡と大分の県境、夜明けダムが見えてきました。ここからは筑後川(三隈川)に沿ってのドライブとなります。しばらく進むと右手対岸の高い位置に久留米から日田へ伸びる国道210号線が視認できるようになり、国道386号と川を挟んでしばらく平行した形となります。

夜明大橋で筑後川を渡り、国道210号に車を乗り入れ “ 攻め “ の走りに備えて気合を入れ直します。

国道210号線は長崎や佐賀からの国道とも繋がりが良く、久留米・大分間を結ぶ北部九州を横断する幹線道路。番号が示すように二級国道ながら準一級国道なみに整備され、対向一車線ながら幅員が広く路面状態も比較的に良いのです。

クルーズしていた時よりも深く腰掛け直し、背もたれをシート横の調整ダイヤルで2クリックほど立てて、肘の曲がり角に余裕が生まれるようにセット。シート・ポジションをスポーツ走行に適した位置に直します。

夜明大橋から日田までは、緩やかなアップダウンはあるものの直線で走りやすい道が続きます。ここで、スピードを極力制限速度以内に抑えながら二速や三速での加減速を試し、エンジンの吹き上がり状態を確認します。併せてブレーキング時の車の挙動や利きも確認します。

今回のドライブを前にサーキットでの走行も可能なくらい CR-X を整備し直していたので、素直で小気味よい動きをしてくれます。タイヤや足回りのハンドリングも問題はありません。

道は日田市内を迂回する日田バイパスへと入り、深夜のため先行車も無く「由布院」を目指して快調に車を走らせて行きます。

大分県の日田市は、江戸時代、幕府の天領として西国筋郡代の役所が置かれ、九州随一といわれるほど繁栄を極めた所です。

地名の由来をひもとくと「豊後風土記」に現在の日田の地に立ち寄られた際、景行天皇の九州遠征の時に久津媛( ひさつひめ )という神が現れたことに因んで名付けられたもので、のちに久津媛が訛って「日田」となったという話や、江戸時代に書かれた「豊西記」によると、湖であった日田盆地に大鷹が東から飛来し、湖水に羽を浸したのちに旭日の中を北へ飛び去ると去ると、湖水が抜けて干潟となり、現在の日田盆地となる日隈、月隈、星隈の三丘稜が現れたというのです。このような「日と鷹神話」からヒタカと呼ばれるようになり「日田」と呼ばれるようになったというものです。筑後川の中流域を三隈川と呼ぶのも、この伝説があるからなのでしょう。

以前、日田を訪れた時は「天領日田おひなまつり」の最中で、豆田町の風情ある街並みを散策しながら、その昔、日田の豪商たちが京や大坂で買い求めたという歴史的にも価値がある絢爛豪華な雛飾りが公開されているのを見学しました。

日田盆地を過ぎると、道は緩やかな登りとなって様々なカーブが続くようになり、ギアを五速から四速に落とし、アクセルペダルのオンオフだけで鋭く駆け抜けていけるようにします。

やがて天ヶ瀬温泉郷を左下に見るような格好で道は高架となり、タイトなコーナーもチラホラ現れてきます。100 R ぐらいまでのカーブなら、まず、コーナーの入り口でブレーキを軽く短く当てるように踏み、車の姿勢を心持ちコーナーのイン側に向けます。車がカーブの頂点を過ぎたあたりでコーナーの出口に狙いを定め、タイヤのグリップ力を活かしてアクセルを軽く踏み込んで抜けていきます。

ここ国道210号線では、まずありえませんが、40 R 以下のタイトコーナーをスポーツ走行で抜けようとする場合にはヒール&トゥを使うのが一般的です。

サーキットを時速 180キロで走っていると仮定して、このような急なカーブに進入する時、コーナー手前百メートル地点くらいでブレーキを踏みます。ブレーキの制動をタコメーターで確認しエンジンの回転数が下がり始めたらクラッチペダルを踏んでギアを五速からニュートラルに戻します。再びクラッチペダルを踏んでギアレバーを四速の位置に入れます。この動作を三速にギアをシフトダウン出来るまで一速ごと何度も冷静に繰り返していきます。

ブレーキペダルからはカーブの頂点手前まで足を離さず、ギアが変わるごとに右足の踵でアクセルペダルを軽く煽って、各ギアごとに定められた適切な回転数を確保し、カーブの頂点手前あたりで三速の加速が得られたら、一気にアクセルを踏み込んで速度を上げコーナーを脱出します。

少しタイトなカーブに差し掛かると、ブレーキングと同時にクラッチを踏み、踵でアクセルを踏みながら三速にシフトダウンして速度を保ったまま駆け抜けていきます。こんな時、車と一体になる感覚がたまらなく嬉しく感じるものです。

玖珠町に入ったぐらいから、後ろに車高を落とした白のクラウンらしき車がピッタリと付いてくるようになり、制限速度を少しオーバーしたくらいのペースを保って走っていると、やたらと車間を詰めてきました。

「なんだか面倒臭い奴が出てきたようね」と呟きながらルームミラーで後ろの車を確認します。

車の運転もロクに知らない “ 走り屋 “ を気取ったおバカさんのようです。どうやら別府の高崎山の猿よりも知恵のなさそうな若い男の子が二人乗っているようです。

私の車の色が赤で、しかも女性が運転しているようだと思ったのでしょう、からかい半分でちょっかいを出してきたようです。

車線を譲り、後ろのおバカな「僕ちゃん」たちを先に行かせるという方法もあるのですが、そうするとガクンとスピードを落として、こちらが気持ち良く走っているのを邪魔されそうな雰囲気です。

そうこうしてる間も後ろから煽るように面白がって車間を詰めてきます。

「どうしようかな。バトルなんてやる気もないし・・ここは逃げるが勝ちといきますか」と口に出しながら、後ろのクラウンとさよならする方法をあれこれ考えました。

玖珠から豊後森までは、国道の両側に市街地が開け、ホームセンターやコンビニ、銀行の支店といった建物が目に付きます。

とりあえず、ここはおとなしく通り過ぎて、国道210号から国道387号線が分岐するあたりから「三十六計」をきめこむことにしました。

それにしてもハエのように付きまとってくるので、うるさくてしょうがありません。「こんな時間、坊やたちはオムツでも充ててスヤスヤ寝てれば良いものを」と悪態をつきます。

分岐が近付き、そのまま国道210号線に進路を定め、後ろをミラーで確認すると・・まだ付いてきています。

「しょうがない子たちねぇ、ここらでオバ様は失礼させていただきますわ」と小さく笑い、車間が詰まった時を見計らって、アクセルに載せた右足はそのまま、空いてる左足でブレーキペダルに軽く触れます。

突然、先行車のブレーキランプが灯ったものだから、後ろのクラウンは慌ててブレーキを踏んで減速しています。

その間に私は、ギアを四速に落とし、さらに三速まで落としてアクセルを目一杯踏み込み加速していきます。

排気量的には走り屋さんたちのクラウンの方が大きく、直線道路では、その馬力を活かして思いっきり車間を詰めてきます。

しかし、カーブでは運転技術に差が出て、相手のクラウンを簡単に引き離します。

「少しだけエキサイトしたけど、そろそろ、お終いにしましょうね」と私。

私の車の助手席の足元に、ちょうど弁当箱くらいの大きさのアルミの箱が隠れています。これはエンジンの回転数や燃料噴射量、果ては私の運転上の癖までも記憶し、車のバランスを保ってコントロールしているコンピューターです。

その中に、ちょうどムカデのような格好の真っ黒いロムがいくつかあって、私のは少しだけイジってあるのです。

つまり、普通は高速走行時にドライバーが誤ってエンジンをオーバーレブさせて車を壊してしまうのを防ぐ目的でリミッターが設けられているのですが、私のにはありません。ですから、この CR-X という車に搭載された DOHC エンジンの持つ性能を極限ギリギリまで引き出せるということなのです。

三速と四速ギアだけを使い、緩い曲線を描くカーブを多角形を描くようにグリップ走行で駆け抜けていきます。エンジン・トルクが最大になるように五千回転から六千回転でエンジンを回し、キャビンの中に漏れてくる「 ろろろ・・」という歌うようなエンジン音。サーキットでしか聞けないはずの HONDA サウンドを思いっきり堪能しました。

豊後中村駅前あたりに着く頃には、後ろから必死で付いてきていた「坊や」たちの車も見えなくなり、再び通常のスポーツ走行に戻ることにしました。

ここから水分峠まで少しだけ勾配のキツイ登りです。

この辺りまで登ってくると国道210号線もカーブが少なくなり、ここが試練のしどころとばかりに、スポーツフルな DOHC エンジンの底力をみせようと車に喝を入れます。

一気に水分峠まで登りきり、由布院へと下り始めます。途中、国道から離れて県道216号線で由布院市街へ。

動き始めた中長距離輸送のトラックと行き交うため、ちょっと気が抜けない下りカーブが連続します。

ここは三速に入れ、アクセルのオンオフだけで気持ちよく下っていきます。

由布院の市街地へ入り、車をゆっくりクルージングしていき、由布院駅前へと曲がる交差点近くでコンビニを見つけて車を止め、サンドイッチと暖かい缶コーヒーを買いました。時間は午前四時を少しまわったところ。

由布院の街はまだ静かに眠っているようです。

ふたたび車に乗り込むと、わざわざこの時間に由布院に着くようにした最初の目的地へ向かいます。

市街地を抜け、由布岳の裾野を縫うように城島高原へと登る県道11号線へ入ります。きつめの右カーブからいきなりのシケインカーブとなり、三速でアクセルを踏み込んでラインを選びながら登り切ると「狭霧台( さぎりだい )」という由布盆地を見下ろす展望台に到着しました。

展望台の駐車スペースに車を止め、カメラと三脚を持って由布院盆地を見渡せる撮影ポイントを探します。

ポイントを決め三脚をセットすると、明るくなるのを待ちながら、さきほどコンビニで買ったサンドイッチを朝食代わりにパクつき、缶コーヒーを喉に流し込みます。

ここ由布院盆地は、寒い朝などに放射冷却のために朝霧が発生して盆地全体を覆ってしまいます。それがあたかも大きな湖のようで周囲の山々とのコントラストが幻想的な眺めをもたらし、由布院を象徴する景色として知られているのです。

たぶん、この朝霧から生まれた話しなのだと思うのですが、湯布院町の口頭伝承に「由布院盆地が太古の昔は大きな湖だった」というお話があるのです。

ここ由布院の守り神の宇奈岐日女 ( うなぐひめ ) が現れ、湖の水を抜けば肥沃な土地が顔を出し、丘陵地に暮らす里人の暮らしが豊かになるであろうと思われて、力自慢の従者、権現に「この湖の水を無くしなさい」と命じたといわれます。そこで権現が湖の壁が一番狭いところ、今の南由布駅の近くを蹴破ると凄まじい勢いで水が抜け、みるみるうちに今の由布院盆地が出来上がったというのです。

その後、この宇奈岐日女は里人に農耕の技法を教え、由布院の里が潤ったという話しです。

この湖には一匹の龍が住んでいて、水が抜かれるやいなや慌てて川を遡り、渕のような場所で宇奈岐日女に必死に命乞いをしたのだそうです。哀れに思われた宇奈岐日女は小さな池をこの龍に残され、これが今の金鱗湖だといいます。

少しづつ夜が明けて、コバルトブルーいっ色だった由布院一帯も薄明かりに包まれるようになりました。

さて由布院盆地はどうだろうと見下ろすと、薄靄は出ていますが朝霧は出ていません。朝霧が見れるのは秋から冬にかけての早朝が一番だということは知ってはいたのですが「春先でも条件が良ければ見れることもあるようだ」という地元の方の情報に “ 万に一つの思い “ でやってきたのです。

思えば、あの冬の日、ここに来れていたならと思うと少し悔しくなります。やたらと朝に弱い元彼の顔が一瞬頭に浮かびましたが「消え去れうつけ者」と念じて、心の平安を保つことができました。

仕方がないので2カット、6枚ほどフィルムを回してカメラと三脚を車のハッチの中にしまい込みます。

キャビンの中に戻ろうとして、ふと由布岳を見上げると、太古の昔を通り越して神代の昔の話しを思い出しました。

実はこのお話しが大好きで、何度となく伝承を読むうちにすっかり覚えてしまったものなのです。「若くて優しい由布岳の神と力強い祖母山の神が美しい鶴見岳の女神に恋をして、お互いに競い合ったというお話です。この恋の争奪戦はなかなか決着がつかず、鶴見岳の女神にどちらかを選んでもらうということになりました。鶴見岳の神が選んだのは由布岳の神で、祖母山の神は大いに悲しみ泣き続け、その涙が溜ったのが志高湖だとされています。その後、祖母山の神は遠く南に去っていき、自らの姿を隠すように山肌を木々で覆ったといわれています。

さて、鶴見岳の女神はというと優しい由布岳の神に寄り添うように側を離れず、その仲の良さから由布院と別府には熱い湯が出るという」お話です。

「私も鶴見岳の山神さまのように素敵な男性にめぐりあえたらなぁ」と由布岳の神にバチバチっと縁結び視線を送りました。

まだ時間が早いので、朝靄が出ているうちに金鱗湖の写真を撮り、地図を頼りに宇奈岐日女神社を訪れた後、県道11号線を九州横断道路「湯布院インター」方向へ進み、今回、もう一つの目的地である JR 九州 久大本線の「南由布駅」に向かいます。

ところで、由布院に来ると不思議に思うのが「由布院」と「湯布院」という二つの呼び名。調べてみると、1955年の昭和の大合併が行われた際に、旧湯平村と旧由布院町が合併し、各々の村名や町名を活かして作られたのが「湯布院町」という町名なのだそうで、正式には由布市湯布院町となるのだそうです。

もう一つ面白いのは「湯布院温泉」という温泉名。よく観光パンフレットなどで見かける呼び名なのですが、実際には存在していません。湯布院町にあるのは、由布院温泉、湯平温泉、塚原温泉という別個の温泉なのです。

湯布院町で思うことがもう一つあります。亀の井ホテル・亀の井バスの創設者である油屋熊八がここに私的な別荘を築いたころから、ドイツのバーデン・バーデンなどに学ぶ自然豊かな温泉保養地づくりを提唱する林学博士の本多清六などを招き「由布院温泉発展策」などの講演を行わせています。こういった動きが後の開発規制に繋がり、日本のどこの温泉地にもありがちなケバケバしいネオンサイン煌めく歓楽街はありません。しかも巨大な旅館や高層のホテルもなく、どこか田園風景を思わせる佇まいが残っています。まさに油屋熊八の先見の明によるものでしょう。素晴らしいです。

また近年、この田園的な雰囲気を活かして文化面にも力を入れてきたために、いろいろなコンセプトを持った美術館やステンドグラスなどの工房が点在し、映画祭などのイベントも数多く行われています。

このような観光地というのは女性にうけないはずがなく、おしゃれな雑貨屋さんとか、キャラクターものを売るお店、レストランなどがひしめき、まさに「九州の軽井沢」と呼べるような雰囲気が出来上がりつつあります。

由布院の狭い市街地をゆっくりと抜けながら、何かに使うかもしれないと、まだ人気のない美術館などの外観をポジ撮りしていきます。そして「南由布駅」に着いたのは午前も十時近くになってからでした。

「金鱗湖で時間を食ったからなぁ、でも丁度よい時間に着いたみたいだわ」と駅舎を眺めます。

日本中のローカル線には必ずあった小さな古ぼけた駅です。風雨にさらされて一部補修が必要なほどに痛んだ板壁が時間の流れを感じさせ、無人駅となってしまった駅舎の中に入ると、何年も前に駅員が立ち去ったことを思わせる造作が目に付きます。

木製の改札口の手すりは人の手によって磨かれた跡が残り、閉ざされたままの駅事務所のガラス窓越しに見えるのは、放置されたままの机や椅子がホコリをかぶっています。

ホームに出てみると、ところどころに小さな名もない雑草たちが花をつけて揺れているのが目に入ります。由布院方向を遠望するように眺めると、田園風景と少し霞んだように見える由布岳のどっしりとした山容が一枚の絵のようです。

「この里も間もなく桜が咲くのね」と周囲を見回すと、駅の裏手に桜蕾が今にも開きそうな桜の木がありました。

駅舎に戻り、列車の到着時刻を確かめます。列車が来るまでには少し時間があるようなので、駅舎の外観や駅舎の中、ホームからの風景をカメラにおさめます。

しばらくすると支線用のディーゼル列車に特有の音が近ずいてきました。二両編成「大分行き」普通列車です。2、3人の乗降客がホームに降り立つと列車のドアがガーッと閉まります。発車の合図もなく出発です。気動車の屋根から薄い黒煙が上がり、ディーゼル気動車特有のグワーという駆動音が響き渡りました。

ホームを離れていく列車を見送りながら、もう一度由布岳の方を見上げます。

「この南由布駅の近くの壁を宇奈岐日女の従者、権現が蹴破ったのね」と、その壁と権現の姿を想像してみました。

私の勝手な想像ですが、権現とは由布岳の神さまの化身だったかもしれませんね。

ここ由布院には神話や伝承が多く語り継がれています。それに加えて「吉四六」さんなどの民話も大分各地に存在し、豊の国はまことに興味が尽きることのないお国なのです。

この地方に独特の地名も気になります。由布院、安心院、院内と、どれも「院」の文字が付いています。これはモノの本によると天皇や高貴な方がおられる場所を示すのだそうで、古代史に興味がある私はいろいろと調べてみたくなりました。

以前、由布院に取材でお邪魔した時に、塚原温泉で「塚原」の地名が、古代の墳墓が多数あるためだと教えられたのです。

「高原で何もない場所ですよ、こんなところに、こんな塚がいっぱいあること自体おかしかでしょう」と郷土史に詳しい方から聞き「ここが高天原( たかまがはら )だという方もおられます」という話にビックリしたのを思い出しました。

仮に由布院が高天原だとすると、地名に「院」が付いてもおかしくありません。しかもすぐ近くには邪馬台国伝説がある宇佐があるのです。古代史パズルのピースを集めて、全体を眺めてみると「実に面白い」ですねぇ。

南由布駅でアレコレ楽しんでいると、あっという間に時間が過ぎ、もうお昼になろうとしています。

お腹も空いてきたことだし、お昼を食べに亀の井別荘内の「湯ノ岳庵」に行くことにしました。

県道11号から国道210号はすぐです。行きに利用した道とは違う大分寄りの場所に出ますが、九州横断道路の「湯布院インター」方向へ進めば、由布院市街に下りる時に利用した県道216号線に戻ることができます。

亀の井別荘の駐車スペースに車を止めて、湯ノ岳庵に向かいます。入り口を入ると雑木を燃やす大きく丸い暖炉があって、気持ちまで暖かにしてくれます。

金鱗湖が見える席に座ると、今回のお目当てであった「埋み豆腐( うずみどうふ )」を躊躇なく注文します。白濁した地鶏のスープの中に松の実や野菜と共に大き目の豆腐を入れた丼なのですが、博多の水炊きに慣れ親しんだ口には、このスープの味もさることながら由布院で作られている豆腐が素晴らしく美味しくて身震いが出るほどなのです。

以前来た時に由布院で作られているという豆腐の「湯豆腐」を食べて驚き、もしかすると京都の嵐山で食べたものと遜色ない味だと思っていたのです。

私の豆腐好きは、もうマイブームの域に達しているようなもので、南は沖縄の「島豆腐」に始まって、美味しいと聞けば人里離れた山の中まで出かけて行く有りさまです。大豆の香りがするということが大前提ではありますが、ただ、ひとつ言えることは「豆腐が美味しいと言われるところは、びっくりするほど水が美味しい」ということなのです。

埋み豆腐を堪能したあとは、同じ亀の井別荘の敷地内にある喫茶「天井桟敷」へ行くことにしました。

本来は平屋だったのでしょうけど、茅葺の古民家ならではの造りを活かして、新たに強度のある天井部分を設けて、その上の小屋裏を「天井桟敷」という名の喫茶店にしているのです。ですから、太く立派な梁が店内を貫くように走っています。この梁が立って歩く人の頭よりも低い位置にあるために、どこか屋根裏部屋的な不思議な空間をを生み出しています。

暖かいダージリン・ティーとシフォンケーキを頼んでしばらくすると、ティーポットに手作りのキルトの袋が被せてあるティーとケーキのセットが運ばれてきました。

紅茶を冷めないようにするための心遣いが素敵に嬉しくて、必ず、また来ようと思ってしまうのですよね。

ダージリンティーをカップに移し、砂糖無しで香りを楽しむようにしながらストレート・ティーをいただきます。

そのあとは、ミルクティーでもう一杯。ケーキの甘さがあるので砂糖はいらないといってもいいでしょう。

さてさて、お茶を飲みながら、ゆったりくつろいでいると、まだ由布院で訪れていない場所のことが頭に浮かんできます。まずは、ここ亀の井別荘と双璧をなす由布院玉の湯。そしていろんな美術館や工房・・。

次の機会には、素敵な男性にエスコートされて「必ず来てやる!」と心の中で小さくシュプレキコールを上げました。

今夜は 住宅メーカー大手の S 社さんのご厚意で同社の由布院保養所に宿泊です。ここは大きな木造りのお風呂がステキで、時間をかけて、ゆっくりと湯布院のお湯を堪能させていただくつもりです。

仕事のこともあるので、翌日の朝は早立ちし、九州横断道路の湯布院インターから高速に乗り、鳥栖ジャンクションで九州縦貫道に入ります。あとは太宰府インターまで走れば、福岡はすぐそこです。

今回の文章は今から二十五年ほど前に日記の形で書いていたものに手を加えて書き直したものです。

亀の井別荘の湯ノ岳庵や天井桟敷でのメニューですが、現在は違っている可能性があります。

やはり古い話ですのでポジフィルムで撮影した写真がほとんど存在していません。というのもデジタル化しないまま保管していたためです。また、私の当時の愛車 “ CR-X “ の写真( MINE サーキットをタイヤテストのために走行していた時に撮ってもらっていたのですが所在不明です )でもあればと探しましたが、これもポジ撮影のためPC 上に保存されておらず、プリントも見つかりませんでした。

ですから、今回のエッセイを書くにあたって、大分市在住の山本幸司さまに過分なるご協力をいただきました。

添付した「南由布駅」の写真は山本幸司さんの撮影によるものです。お忙しいなか、わざわざ由布院まで足を運んでいただいて

撮影していただいたものです。ほんとうにありがとうございました。


 
 
 

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