お酒のはなし
- 麻美 四条
- 2015年6月8日
- 読了時間: 5分

以前から、日本の歴史、特に古代史に興味があったのですが
その中でも「酒」にまつわる話しをしてみようと思います。
お酒を愉しむスタイルにはいろいろあります。
独り酒が良いという人もいれば、少人数でじっくりと酌み交わすのが良いという方もいらっしゃいます。
また、多人数でワイワイと楽しく飲むというのもあるでしょう。
そこで「酒宴」とか「酒席」というもののルーツをひもとくと
どうやら八百万 (やおよろず) の神さま方と深い関係にあるようです。
いろいろな神事というものを見ていますと
神棚に神饌 (しんせん) 、つまり神様へのお供物が供えられています。
神主さんの祝詞を聞いていると「かしこみかしこみ申し奉る・・御食 (みけ) 、御酒 (みき)、御餅 (みかがみ) 、種々 (くさぐさ) の物を捧げ・・」と奏され、とりわけ飯と酒、餅は最上位に扱われる決まりのようです。
ことに酒は正中 (しょうちゅう) といって、その中心に置かれているのです。
この神事で供されるお酒、今は普通に醸造酒が使われることが多いのですが
いにしえの昔はどうだったのでしょう。
いろんな資料や記紀などによると、神事に用いられるお酒は、その前夜に一夜で造る「一夜酒」でした。
神に仕える女性がお米を口に含んで噛み砕き、唾液の中の酵母で発酵させた唾液酒、口噛酒 (くちかみざけ) だったようです。
醸造という言葉の醸 (かもす)は醸 (かむ)の転化した言葉ですし、男性が奥方のことを「かみさん」というのも、この”酒を醸す人”というところから生まれた言葉です。
記紀の中では、天甜酒 (あまのたむざけ ) や八しおりの酒 (やしおりの酒) というのがよく出てきます。
天甜酒は、一夜酒の甘酒バージョンだったようですが、八しおりの酒は、この一夜酒を搾って粕を取り、これに飯や粥を加えて再発酵させて強くした強酒 (こわざけ)のようです。神話の中に出てくる八岐大蛇 (やまたのおろち) は、この八しおりの酒で酔っ払わされ退治されたのだそうです。
この伝説が伝わる出雲の醸造メーカーさんが、この八しおりの酒を再現、販売されているのだそうで興味のある方はぜひ調べてみてください。
八しおりの酒の「八」というのは、何度も何度も繰り返すという意味なので、反復発酵させしおる、すなわち搾ったという意味なのでしょう。
そうだとすると、八岐大蛇が呑んだくれるほどですから美味しい酒だったのでしょうが、かなりどころか相当強い酒だったに違いありません。
さて、今でも神事が終わると直会 (なおらい) となるのが決まりです。
神さまに供した神饌を賜って神人共食し、酒を酌み交わす・・というものですけど、いにしえ人はというと直会で出る酒というのは神事の時か年中行事のような神祭りの時にだけ飲むものであったようです。当時も居たかもしれない酒好きの人間にとっては、かなり酷なはなしですがね。
もともと直会というものは、神前で行う儀式ですから厳格な決まりと秩序で執り行うものだったようです。
この酒席についた者は必ず祝歌を披露せねばならず、のちには、これに節が付き簡単な謡となっていきました。ですから「宴」、つまりウタゲと呼ばれるようになったのだといわれています。
直会の酒盛りの有り様ですけど、本式となると大から小まで杯が五段重ねで用意されます。初献の肴は祭神にちなんだものや地域の特産品などと必ず決まっていて、いわば定番のものが供されたようですが、二献からあとは、その時々の趣向によって自由に選ぶことが出来たようです。この一献ごとの酒の肴を見立てることを「献立」といい、今、よく使われる「献立」の語源となっています。
酒席に連なるすべての者に杯をまわし、それぞれが一献あけるごとに祝歌を謡するのですから、しばしば夜明けを過ぎてもなお酒宴が続くこともあったようで、さすがに略式という方法もとられたようです。各人の前に折敷 (おしき) や盆のようなものを置き、右から杯の小さいもの大きいものの順に五つならべ、全員で一献ずつあけていくというものです。しかし、酒をよく飲む酒好きにはじれったいものだったようで、順番を飛ばして、最初から左端に置かれた大きな杯から始めるというのも許されることがあったようです。このことから酒好きや酒豪のことを「左きき」、「左党」という言葉が生まれました。
のちに、一献、二献と杯が進み、三献あたりから大きな杯にして、各人が勝手に振る舞う風の「穏座 (おんざ)」も始まり、これを「無礼講」ともいいます。本式があくまで儀礼や儀式を重んじる「礼講」であるのに対しての言葉ですが、無礼講も略式の神事にはかわりがなく、今でいう何をやっても構わないというのは本来の意味とは随分と違うような気がします。
神と人とのコミュニケーションを深めるものがお酒であったようですが、この穏座の形のみが酒盛りの原型となって今の酒宴となり、宴の主人公のひとり、神さまはどこかに忘れられてしまったようです。
神事の酒を造り、神に捧げ、神事を営む人々に酒を注ぎ、献立するのはすべて女性だったのです。調べていくと、古代の人は女性にある種の霊力のようなものが宿っていると考えていたようで、女性を押し立て、神意を伺う仲介者の巫女に仕立てたのでしょう。
宴で酒を注いで回る巫女・・・考えてみると酒席で男性のそばに侍るクラブのホステスさんや芸妓さんも、もとはといば巫女さんだったということになりますよね。
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