6月30日のピアニスト
- 麻美 四条
- 2015年7月6日
- 読了時間: 15分

今から30数年前。
福岡からの出張で東京に来ていた私は
それが出張の目的のはずの企画の打ち合わせもそこそこに新宿のライブハウス「PIT INN」に足を踏み入れていました。
PIT INN といえば、私たちの世代のジャズ・ファンにとっては特別な場所で
今では大御所の渡辺貞夫さんや日野皓正さんなどが当時よく出演し
ジャズが好きな人間にとっては「約束の聖地」だったのです。
当時の私は宮仕えの身。
福岡からの東京出張といっても日帰りか、せいぜい一泊が主流で
そうそう自由になる時間もなく
何とか紡ぎ出したわずかな時間を巧く利用しようと先方の事務所がある代官山から大急ぎで新宿にむかいました。
PIT INN で誰が演ってるのかなどという情報など一切おかまいなく
とにかく、めったに行けない PIT INN に、ただただ行きたいだけだったのです。
この日、PIT INN で演奏していたのは
案の定、まったく聞き覚えのない私の知らないミュージシャンたちでした。
コルトレーンの影響が大きかった時代だけに日本人のジャズメンのなかでも
ウェイン・ショーターやマッコイ・タイナー、エルビン・ジョーンズといったミュージシャンのスタイルを
真似るというか、新しいものを演ってみようというような空気があって
この日の演奏もどことなくそんな感じだったように思います。
以前から、演奏を聞くときは「まずはピアノを聞いてみる」という癖がある私は
ステージ上の名も知らぬ若いピアニストの音に自然に注意を傾けました。
サイドメンらしきこのピアニスト、見ると髭面にメガネをかけた、ちょっと煙たそうな雰囲気の人で
しかも、そのレンズの奥からどことなく客席を睨みつけているような感じがするのです。
この人のピアノをよく聞くと、マッコイ・タイナー風のようではあるのですが
ピアノのキータッチにこだわりを持っている感じで、白人のピアニストのような知的な美しさを求めている風です。
聞き込んでいくと、彼の弾くピアノの中にビル・エバンスが見え隠れするような気がしてきました。
そうこうするうちに演奏も終わり、拍手のあと、お客が一斉に帰り始めます。
まだ PIT INN に居るという余韻に浸っていたかったのですが
どこか不思議に魅力的なオーラを発するこのピアニストに
「いい演奏をありがとうございます」みたいな言葉とともに握手を求めていました。
PIT INN を出る際にピアニストの名前を確認したのですが
私の知ってる日本人のジャズ・ピアニストの名前の記憶の中にはありませんでした。
「たぶん新人のピアニストなのだろうけど、あのピアノ・センスだと、きっとすぐに名前を聞くようになるかもね」などと考えながら後ろ髪を引かれる思いで PIT INN を後にしました。
それから数年、日本の主たるジャズ・シーンを注目していましたが
あのピアニストの名前を見かけることもなく
福岡みたいなローカルでは東京の詳細なジャズ・シーンのことなど伺い知ることなどできないこともあり
初 PIT INN に行ったこと、そして野心的な雰囲気を持つ繊細なピアノ・タッチの若手ジャズ・ピアニストのことは「思い出」という記憶の中の小箱に入れることになってしまいました。
あれから35年近くの時が流れた2013年の春。
ある女性ヴォーカリストから紹介された新宿の「 t’s Bar」という居心地の良い小さなバーで
いつものように一人で飲んでいました。
このお店は移転後の PIT INN のすぐそばにあって、時折ミュージシャンも訪れているようです。
また、このお店の渋いマスターも昔はトロンボーンを吹いていたというお人だし
そんな空気感が私をここに引き寄せている理由なのかもしれません。
場所柄なのでしょう
グラスを口に運びながら
若かりし頃、とっても田舎者だった私が PIT INN を初めて訪れたことや
その時に聞いたピアニストのことをたまたま思い出して
マスターに話をしようかなと思ったちょうどその時のことです。
二人の男性がお店に入ってきて楽しそうに話を始めました。
会話の感じからジャズ・ミュージシャンのようです。
ほとんど白くなりかけた長い髪を後ろで束ねた初老の男性、どうやらピアニストのようです。
「誰なのかなぁ」
そこでそのピアニストの名前をマスターに尋ねてみると
驚愕の答えが返ってきたのです。
そう、それこそ今、マスターに話をしようと思っていた30年も前の PIT INN でのこと。
その時のピアニストとたぶん同じ名前だったのです。
そこにいるピアニストは優しそうに目を細め、軽く笑いながらお友だちとおぼしき人と話しています。
どう見ても、あのメガネの奥から挑戦的に睨みつけていた人とは別人のようでした。
いくら相手が多くのファンを持つミュージシャンといえども
もしかすると全然知らないかもしれない相手に突然話しかけるというのはやはり得手ではなく
それでも意を決して「もしかすると以前、貴方のピアノを聞かせてもらったと思います」とやってしまったのです。
普段ならよほどのことでもないかぎり絶対にしないことなのですが
たまたま30数年前のことを思い出して話題にしようとしていた時だったために
気付けばまるでミーハーのような行動をとってしまっていたのでした。
案の定、軽く「そうなんですか、ありがとうございます。これからもよろしく」という笑顔での返事をいただいて会話としてはこれでお開き ”ごきげんよう” という目で見られて幕となりました。
でもその彼が最後に「近々、青山のライブハウスでリーダーライブをやりますよ。よかったら来てください」という言葉をかけてくれたのです。
それで、酒場での戯言とばかりに、誘われたライブにも行かないままだと
そのピアニストにとって「あの人、本当かどうかわからないけど以前に聞いたとかいう昔話をしにきた人だよね」で終わりとなっていたでしょう。
しかし私は、あの30数年前のピアニストと、バーでたまたま居合わせた人物が同一人物なのかどうか確かめたくなりました。
青山のライブハウスに着いたのは30分ほど前だったと思います。
そのピアニストはバーでのことを覚えていてくれたようで「わあ、来てくれたんですね」と笑顔で迎えてくれました。
ライブが始まり、私はいつものように「ピアノからまず聞いてみよう」と音楽を聴く心を準備したのです。
聞こえてきたのは、あの日のマッコイではなく
どことなくキース・ジャレットのような、そしてハービー・ハンコックが時々顔を見せるという風な演奏スタイル。
しかし、繊細でキレのあるピアノ・タッチには聞き覚えがありました。
時が流れ、そのピアニストにもいろいろなことがあったのでしょう。
以前のような角ばった印象は無くなっていましたが、一音一音にこだわっているようなピアノ・タッチは変わっていませんでした。
偶然のイタズラというのでしょうか
こういう思い出との再会というものにビックリしてしまいました。
ライブが終わった後、このピアニストと話しをする機会があり
「30数年前に確かにあなたのピアノを聞いたのは間違いありません」
「当時はこんな感じで、こういう演奏スタイルでしたよね」みたいなことを熱っぽく伝えている自分がいました。
そのまま話を続けていると、少し新宿で飲もうという話しになり
この日のライブのこと、また、その30数年前に私が聞いていたという話しなど
気がつけば、アルコールのピッチを上げながら朝まで勢い込んで話しをしていたのです。
直接、言われたわけではありませんが
この人は、自分がやってる音楽というものに対してすごく厳しい姿勢を常に持っているようなのです。
そして一緒にやるミュージシャンにも、その資質の持てる最高の演奏を求めてライブに臨んでいることを感じました。
こと音楽に関する話しになると少年のように目を輝かせ語り尽くすエネルギーに
先ほどのライブでの素晴らしいピアノの余韻とが重なってすごく魅力を感じてしまいました。
しかし、駄目なものは「ダメ」、嫌いなものは「キライだ」とハッキリ遠慮なく怖い目になってキツイ口調で言い返されます。
あまりの口調にムッとすることもありましたが、なぜか不思議な魅力を発する人なのです。
きっと天才肌のアーティストなのでしょう。
でも、かなり強烈な個性の持ち主のようで
きっと同業のミュージシャンでも、この人のことを煙たがったり、嫌う人がきっといるような気がしてきます。
あの小さなバーのマスターがある時、このピアニストのことを評して言った「あの人は無冠の帝王なんです」という言葉がなんとなくわかったような気がしました。
それにしても、お互いにかなりディープな自動車好きだったことなど不思議に共通の話題が多くて会話がはずみ
「また飲みましょう」ということになりました。
この時以来、ライブの後などに「一緒に呑んべえ会」が2年近く続いているのです。
それこそ30数年の間に起きたこと、その空白の時間を埋めるように
終始、笑顔で終わるか顔色が変わるくらいムッとする時もあるなどお互いに話題はつきないのです。
ある日のこと。やはり新宿のジャズ・スポットで飲んでいる時に
このピアニスト氏が独り言のように
「俺のピアノのタッチは、ただ下に沈んでいくだけで誰にも届かないのさ」と吐き捨てるように言ったことがありました。
私は少し驚いて間髪を入れず「お前さんのはひとつの音が綺麗な輪になって広がってんだよ」と強く言い返していました。
この時以来、この人はちゃんと音楽的に評価されてないことに少しヤケになってるようなところがあるのかなと思うようになったのです。
この頃には、私はこの人のピアノが、またその音楽センスが大好きなんだと感じるようになっていました。
それならば私なりの精一杯のやり方で応援しようじゃないかという気持ちになったのです。
いろんな経緯から、私の企画で「下手の横好き的ジャズ・ライブ」をそれまでにも数回やっていました。
「陰ながら応援する」なんて出来ない性格の私は、このピアニストをリーダー格としたライブばかりをやることにしたのです。
この年の夏から翌年、今年にかけて、その企画は二十回近くになりました。
結果、私の周囲のミュージシャンから異口同音に「私はどうなっているのです?」という声まで聞こえてきました。
彼のピアノを聞けば聞くほどわかってきたことがあります。
時々ふざけて「日本でね、ライブ中に一番ピアノを弾かないピアニストというのが俺なんだよ」と笑っているのです。
でも、この言葉の意味を少し真面目に考えてみると
それは曲のテーマを弾くにしてもアドリブをやるにしても音数を減らして
シンプルに表現することに徹しているということなんだろうなと思えてきました。
だから他の楽器を演奏するミュージシャンの力を、その持ち味であるその人のセンスを引き出そうという余裕が生まれてくることになります。
彼の自由なアレンジが加えられているとはいえ
その曲自体のディテールやコンセプトが明確に聞く側に伝わっていくということでしょう。
また、彼の演奏はキース・ジャレット風にだったり、ハービー・ハンコック風に聞こえたりするのですが
よく聞いていると、彼の指先が “ ポピュラー音楽 “ だからこその時代の潮流やトレンドといったものを敏感に感じていて
それをひとりのアーティストとして突き詰め、彼なりの感性で取り込んで「彼の音楽」として表現しようとしているのだと思います。
だから、それは単なるモノマネなどではなく、そこにちゃんと彼という表現者がいるのです。
また、ジャズ・ファンなら一度は耳にしたことがあるコードやモードといった奏法のことに触れますが
この人は誰にも語らないので、私が聞いた彼の音楽から感じたものは「まるでビル・エバンスのように厳格に奏法というものにこだわり見極めながらも、時にはロック風だったり、ヒップ・ホップやラップだったりと表現することの自由さ、音楽の素晴らしさ楽しさ心地よさをわかりやすく聞かせてくれている」のです。
私の企画したライブで彼のピアノの世界にどっぷりと浸り
その後は、いつものように「一緒に呑んべえ会」となるのがパターンとなりました。
もちろん、いろいろな話題や音楽話しに笑顔かムッとした表情を繰り返すことになるのです。
それは「口角から泡を飛ばす勢い」でいろいろなことを語り合った若かりし頃を追体験しているような、不思議に楽しい時間だったわけです。
お互いに意識して、その時代をリメイクしていたわけでもないのですが、この年寄りの冷や水的「一緒に飲んべえ会」は少なからず衰えてきた身体にかなり酷な行為となりました。
そこで「若くねえだべぇ」とわざと顔をしかめてみせ、ニヤリと笑って
「今夜は朝までというのは無しで軽くね」と言う予防線を張るのが常になりました。
しかし、話がヒートアップすると「もう少し飲めや」とばかりに夜明けまでということも多々あって
翌日は二人して「少しは自重しないと、こりゃヤバいぞ。まだ棺桶には入れない」と
電話やメールで反省の弁を述べ合ってるからいよいよ始末が悪いのです。
このピアニストは、ほぼ私と同年代、一つしか歳が違わないこと(悔しいことに私の方が上)、北海道は札幌の出身で、私はというと
九州は博多の出身。地方とはいえ南と北の端からよくもまあ変な飲み友が現れたものだと二人で毎度大笑いです。
そんな中、彼がミュージシャンを目指して北海道から上京すると、まず向かったのが新宿の PIT INN だったと少し真面目に語り出したのです。
考えてみれば、当時、ジャズ・ミュージシャンを目指している者にとって PIT INN は憧れの場所だったでしょうし
いつかは、そのステージに立つというのが目標だったと思います。
そして目の前の長い白髪を束ねたピアニスト氏も、大きな夢を抱いた若者だったころに PIT INN のドアを押したのだと想像できます。
彼が描いた未来のチャートは「 PIT INN でアルバイトをしながら、ジャズ・ピアニストとしての階段を登る」というもの。
しかし現実は、彼なりに必死の思いでジャズへの情熱を熱く語ったものの
そう上手く運ばなかったようで「今、アルバイト・スタッフに空きは無い」と簡単に断られてしまったのだそうです。
でも、その熱い気持ちだけは通じたのか PIT INN のライブを見るときはスタッフ並にフリーパスで良いと厚遇を受けたと
彼と PIT INN の関わりの始まりを聞かされました。
結果、志をいだき何かを成さんとする多くの若者たちと同様に
食にありつくための仕事を探さねばならず、身体を休め眠るための寝ぐらも見つける必要があったのではないでしょうか。
そして音楽関係の仕事やアルバイトがあると、プロのミュージシャンへの階段を登るためにと必死で立ち向かったことだろうと思います。
そういう時間が彼の音楽スタイルの形成や音楽観というものに大きな影響を与えていることは間違いなく
それから数年後、30数年前の PIT INN でのあの挑戦的な彼が居たのだと思います。
現在、このピアニストは演劇の舞台音楽を全編に渡って作曲、実際に舞台の上で劇の進行に合わせて演奏するなど
きっと意識して、自分の可能性にチャレンジし続け、その活動領域を大きく広げようとしているのだと思います。
飲んだ勢いだったのか「俺さぁ、音楽やるよ」という言葉をもらった時は自分のことのようにただただ喜んでしまいました。
事実、この舞台を実際に見せてもらったのですが、曲作り、演奏のどちらからもライブの時とは違う大きな感動をもらったのです。
それにしても、意にそぐわない、自分のやりたいものと違うものは絶対にしないというような性格の人ですから
ライブの途中でも気に食わなければ、とっとと帰ってしまいかねません。
そんな意固地さが災いしているのか、あれほどスタッフさんたちとも仲良くしている風に見える PIT INN なのに
未だにリーダー・ライブはまだ実現しないままだったのです。
「PIT INN でのリーダー・ライブはやりたいさ。俺の夢だよ。でもお声を掛けてもらってないんだ」とボソリ。
そりゃあ、そう簡単にはいかないでしょう、私たち世代のジャズ・ファンにとって PIT INN は「ジャズの聖地」なのですから。
そんなこんなで、私も機会を見つけて PIT INN の責任者に聞いてみたことがあるのです。
「あのピアニストでのリーダー・ライブは出来ないものでしょうか」と。
その時の返答は曖昧なもので、はっきりとした答えはもらえずじまいでした。
それから数ヶ月も経ったころのことです。
「 PIT INN からさぁ、ライブをやらないかというオファーがきたよ、しかも夜だぜ!」と目を輝かせ、嬉しそうに話すピアニストさんに会いました。
昼と夜にライブがある PIT INN は、昼とは大違い、夜の部に出演できるミュージシャンは格が違うということいなります。
PIT INN で話しが出たのか「PIT INN に話しをしに行ってくれてたみたいだね、ありがとう」と真顔でお礼を言われてしまいました。
「ああ、そうそう別のライブで行った時に思いついて話しただけだよ」と私。
「私が話したから決まったわけじゃないよ。お前さんもいろいろ積み重ねてきたし、その実力があったから認められたんだと思うね。実際のところ、ずっと以前からやらせてもらえたような気がするし、PIT INN の方も言い出すチャンスが無かっただけだと思うね。まずは良かったじゃん、スゴイよ」と笑顔を返しました。
かなり頑固で、怒らせるとおっかない感じのピアニストさんなのですが、内心は意外にも小心者のようなところがあって
きっと PIT INN 初リーダー・ライブの緊張と嬉しさの狭間で、この人の心はグチャグチャになっていたことでしょう。
6月30日当日の夜がやってきました。
あの髭面でメガネを掛けてたピアニスト氏の夢だったリーダー・ライブがいよいよ始まります。
私たち世代以前から、ジャズ・ミュージシャンを志した者、そして、それを聞く者にとっても大きな意味を持ってきた PIT INN。
今では御大と呼ばれ、白髪の渋いピアニストになってはしまいましたが、彼にとって今日ここは真に「約束の聖地」となりました。
これまでの美しくキレの良いピアノ・タッチに、今日は優しさが加わり、すべてが特別なものに聞こえます。
パワフルで素晴らしいライブになったことに私は感激して涙腺が緩むのを覚えました。
お客さんもかなり入りました。みんなどこかで、このピアニストにとっての特別なライブがあるのだと知っていてくれたのでしょう。
初リーダー・ライブ、しかも盛況で、ほんとうにほんとうに良い日になりました。
ライブが終わり、バンドのミュージシャンやPIT INN のスタッフさんたちに声を掛けるピアニスト氏。
そして聞こえてきた言葉は「次もよろしく!」です。
そう、次があります。また上のステップを目指さねばならぬのですね。
それがアーティストとしての宿命なのでしょう。
でもゆっくりはしていられません。
棺桶までの時間は限られているのですから。
「階段を登るといってもさぁ、あまり急いで上がると、かなりガタがきた心臓が音を上げちまうぞ」とピアニストさん。
「そうだべなぁ、でも時間無かよ」と私。
そんなジャジーな会話を、またしましょう。
次は終始、笑顔で・・というふうにはならないかもですけど。
素晴らしいピアニストにして、良き飲み友に乾杯です!
2015年6月30日 新宿 PIT INN NIGHT
The Hash Band
橋本啓一 piano 平山恵勇 drums 吉永絢香 arto sax 中津裕子 bass
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